長刀鉾の名は、鉾の頂に三条小鍛冶宗近作の大長刀を飾ったことに始まります。宗近は一条天皇永延 (987~989) 頃の刀工で、三条一派の祖。左大臣頼長の佩刀小狐丸鍛造に冠する謡曲「小鍛冶」、また、天下五剣の一つとして名高い国宝三日月宗近の作者として有名です。

嘉禄元年(1225)、祇園社(現在の八坂神社)に寄進された長刀を鉾頭に掲げて、長刀鉾が誕生したといわれています。

伝説

長刀は宗近が娘の病気平癒祈願のために奉納したもの。ところが、身の丈抜群で勇猛絶倫の和泉小次郎親衡が、この太刀を懇望し、一時は愛用しましたが、何かと不思議なことが起こり、神仏を私する非を悟り再び返納したと伝えられています。

長刀鉾の真木に飾られた「天王座」は、この親衡の姿を写しています。小舟を肩に担ぎ、大長刀を持った天王座は小舟を操り長刀を振るって、山河を駆け巡った勇猛果敢な姿を彷彿させます。

和泉小次郎親衡
天王座に設置される
和泉小次郎親衡

返納された長刀は疫病流行のときに町内に貸し出して拝戴(はいたい)の儀を行うと病気が治るとされ、その評判を聞きつけた人々であふれるほどの人気でした。

三条小鍛冶宗近作の大長刀

三条小鍛冶宗近作の大長刀

実物は町内の宝物として秘蔵されており、実物を見ることは出来ません。その拓本は一枚だけあり、下京区松原中野町町家に扁額として保存されています。

構造

重量約11トン
高さ地上から長刀の上まで約25メートル
車輪約2メートル
鉾屋根長さ約4.5メートル  幅約3.5メートル
石持音頭取の立ち台が乗る。
音頭取曳子の指揮者2人。(辻廻しの時は4人)
屋根方屋根の上に乗って真木の揺れを調整したり電柱や建物に当りそうな時は足で防ぎます。
囃子50人  稚児・禿とその父、稚児係など約50人が乗ります。
曳子50人
その他建方・車方など多数が必要。

組立て

近年の状況

  • 平成12年、天井幕「彩雲紋刺繍」を新調。続けて平成16年に168年ぶりに見送り「雲龍波濤文様」綴錦を構造。
  • 平成19年、252年ぶりに下水引「緋羅紗地五彩雲麒麟図刺繍」の後面を復元。
  • 平成28年、長刀鉾保存会設立50年、保存会・会所にほど近い錦商店街の商人であった伊藤若冲の生誕300年を記念して、長刀鉾背面を飾る見送「旭日鳳凰図(伊藤若冲 原画)」を新調。

旭日鳳凰図の見送の完成披露は、報道機関向けには当社のロビーで行いました。