祇園祭は西暦八六九年、京の都をはじめ
全国各地に猛威を振るった
疫病の退散を祈願して始められた
「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」が起源です。
今では、祇園祭山鉾巡行は“動く美術館”として、
世界に誇る祭りのひとつに数えられています。

祇園祭 - 山鉾巡行
祇園祭 – 山鉾巡行

 祇園祭は平安時代、「祇園御霊会」といわれ、貞観11年(869)に全国に疫病が流行し、平安京の広大な庭園であった神泉苑に当時の国の数にちなんで66本の鉾を建て、祇園牛頭天王を祀り災厄の除去を祈ったことに始まるとされています。
平安後期には、祇園祭の主体は三基の神輿を中心とする還幸の行列と、御旅所での神事芸能(神楽・獅子舞、田楽など)でした。鎌倉時代は「馬上十二鉾」が祭りのシンボルとなり、南北朝時代には五十八基の山鉾が賑わいをみせました。応仁の乱(1467~1477)で大きな打撃を受けましたが、明応9年(1500)に36基で復活しました。
現行の祇園祭山鉾32基はこの時点でほぼ完成しました。長刀鉾は先頭、以下籤取りで巡行順を決めることになったのもこの頃です。

八坂神社は斎明天皇2年(656)に創祀され、「祇園社」あるいは「祇園感神院」と称していました。平安時代、天延2年(974)比叡山延暦寺の別院となり神仏習合の色が強かったが、明治4年に神仏分離により「八坂神社」と改称されています。

祇園祭と外市 – 長刀鉾と共に –

当社は京都の様々な地域文化や行事と結びついています。中でも、京都本社は長刀鉾町の中心地にあり、「祇園祭」の主役ともいえる「長刀鉾」を支える保存会の役員企業として祭礼行事に深く関ってまいりました。

当社は、今後とも地域との交流を重んじ、財団法人長刀鉾保存会の一員として、「長刀鉾」の保存と継承に向け、最善の取組みをしてまいります。

長刀鉾の由来
長刀鉾のお稚児さん
長刀鉾のお囃子