毎年7月に入ると、京都は鉾町のあちこちで祇園祭のお囃子が聴こえてき、厳しい夏の暑さを癒してくれます。弊社では毎年、祇園祭ツアーを企画し大変好評を頂いておりますが、祇園祭をお楽しみ頂く上で、祭の主役ともいえる「長刀鉾のお稚児さん」に関する興味深い話をご紹介します。(以下は主な行事のみで、下記以外にも連日諸行事が組まれています)
唯一の生稚児(いきちご)
祇園祭は7/1の吉符入(きっぷい)り(神事始め)に始まり、1ヶ月間に渡り繰り広げられる。一般には17日の山鉾巡行が知られ、現在、32基の山と鉾が勢揃いする。中でも、長刀鉾は天を突くようにかざす三条小鍛冶宗近作の長刀を特徴としている。長刀鉾は毎年巡行の先頭を行く“くじとらず”の鉾で、選ばれた生稚児が禿(かむろ)と共に搭乗する。かつては船鉾を除いた全ての鉾に稚児が載っていたが、今では生稚児が搭乗するのは長刀鉾だけである。天明の大火(1788)で壊滅的な被害を受けた函谷鉾が天保10年(1839)に復興する際、稚児人形を用いたのをきっかけに、他の鉾もそれにならい人形に替えていった。
【 6月中の大安の日 】稚児と養子縁組
稚児は8~10才ぐらいの男子が選ばれ、祭りに際しては長刀鉾町と養子縁組をし、6月中の大安の日に結納が贈られる。また、2人の禿が選ばれ、行われる行事のすべてに稚児のお供をする。稚児に選ばれた家では、結納の儀に合わせ、八坂神社の祭神・牛頭天王をお祀りする祭壇が設けられる。
【 7月1日 】お千度
涼み衣裳にぽっくりを履いた稚児が二人の禿と同道し、八坂神社本殿を3周した後に昇殿参拝する。稚児に選ばれたことを神前に報告し、祭礼中の無事を祈願する行事を「お千度」という。「お千度」の意味は、お供の町役員・祇園甲部の芸舞妓なども含め3周すると”千度”廻ったことになるというもの。
【 7月5日 】吉符入(きっぷいり)
長刀鉾では稚児の名簿を吉符といい、これを祭壇に納める行事を吉符入という。稚児は「蝶とんぼの冠」を頭に頂き、振袖に袴を着用し、初めて町内の人と顔合わせをし、長刀鉾会所2階で稚児による太平の舞を披露する。
【 7月12日 】曳初め(ひきぞめ)
稚児が初めて鉾に乗り、午後3時半頃から町内で曳初めを行う。女人禁制の長刀鉾もこの時だけは誰でも参加でき、綱を曳けば厄除けになるといわれる。
【 7月13日 】社参の儀
稚児が白馬に乗り、供を従え、正五位少将の位と十万石大名の格式をもらう儀式の為に、八坂神社へ社参することを「社参の儀」という。 南門の大石鳥居で下乗し、正面から昇殿。宮司や神官が海山の幸を献じ、稚児側から三座分の粽が供えられ、宮司の祝詞の後、稚児は外陣に進み神酒洗米を頂く。この瞬間に稚児は「神の使い」となる。この後、14日~16日まで毎夕7時に、介添えの人々と共に社参し、町内に戻って鉾の上より披露する。
「神の使い」となった稚児は、食事の際にお膳は火打石で打ち清めてから食べるのがしきたり。稚児家では、父や祖父の男性だけで食事をし、祭壇がある注連縄の張られた部屋で過ごす。
【 7月17日 】山鉾巡行当日- 巡行の装束 –
早朝より稚児は厚化粧天眉をし、金銀丹青鳳凰の冠を戴き、衣装は雲龍の金襴赤地錦で唐織霜地の二倍織(ふたえおり)表袴(うえのはかま)、鳳凰の丸を浮織した帯状の木綿(ゆう)手繦(だすき)を左肩より右腰に掛ける。これは神に仕える装束の一つ。神の使いとしての稚児は公式には地上を歩かず、屈強な強力(ごうりき)が稚児を肩にし鉾の上まで昇る。
巡行のハイライト
午前9時、長刀鉾を先頭に全ての山鉾が順に四条烏丸を出発。長刀鉾はくじ改めを行わずに通過。ハイライトは稚児による「しめ縄切り」。先頭を行く長刀鉾が四条麩屋町にさしかかった時に、通りを横切って張られたしめ縄を稚児が刀で切り払い、神域に入る道を開く。
鉾は四条寺町のお旅所前で停止し、疫霊を祭神にお渡しする御霊会(ごりょうえ)本来の儀式を行う。役員が玉串を捧げ、稚児が舞い、神社を遥拝して儀式は終了。
この後、四条河原町の辻廻しから囃子は急テンポに変わり、御池通りでは観覧席から盛大な拍手で迎えられる。稚児と禿は御池通新町で鉾から降り、八坂神社へと向う。八坂神社では位を返す「お位返しの儀」が行われ、稚児と禿は再び普通の少年に戻ることになる。